『バッド・エデュケーション』
監督:ペドロ・アルモドバル
出演: フェレ・マルチネス, ペドロ・アルモドバル, ガエル・ガルシア・ベルナル
ストーリー:(めんどいのでamazon引用)
1980年、マドリード。新進気鋭の映画監督エンリケのもとに、イグナシオと名乗る美貌の青年が映画の脚本を手に突然あらわれた。彼はエンリケの少年時代の神学校寄宿舎での親友。あまりに変わった友に疑いを感じながらも、脚本の内容にひきつけられていくエンリケ。なぜならそこに描かれていたのは二人の人生を変えた、彼らの少年時代の引き裂かれた悲劇。エンリケを守りたいがゆえに自らを犠牲にし、砕けてしまったイグナシオの心、今もなお変わらぬ愛。でも何か違う。本当にイグナシオなのか?真実を求めエンリケはイグナシオの大いなる秘密を知ることになるのだった・・・。
アルモドバル監督の作品を観るのは『トーク・トゥ・ハー』に続いてこれで2作目。
『トークトゥハー』があまりに良かったのですごく気になる作品のひとつだった。
前々から私の過剰な心の中では、この監督とは何だか気が合いそうだなと思っていた。
今回もまさに同じ衝撃だった。
この監督は『愛』というものに対して、過剰なまでの執着を持っている。
しかもそれを日常に何の抵抗もなく描ききっているのだ。
愛は日常。非日常になってしまうと嘘になってしまうから。
愛と嘘は、わりと遠い位置に属している。
近いようでね、実は遠いんだ。彼と私の中では。
きっと監督自信、ゲイだと公言している部分もあり、この映画は半自伝的な作品なのだと思います。
そうゆう作りをしていました。(観ないとわからないのですが)
この映画の何が良いって。
誰も幸せじゃないところ。
何処にもない。
あえてあるとしたのならば、昔の思い出だけ。
愛に目覚めるタイミングっていうのには、人其々違ったきっかけがあると思うのだけれど。
それは誰もが素敵なきっかけであるわけではない。
そもそも愛が素敵だっていう感覚が、私にはない。
理想や憧れはあるけれど。
この映画の主人公の愛への目覚めはきっと人によってはとても残酷に思えるかもしれないけれど、どうだったのだろう、何だか私はあの時を思い出してしまった。
映画の素晴らしいところは、エンターティメントとして十分成り立つけれども、忘れていた何かを思い出すきっかけともなる。
私にとって、そんな映画となった。
兎にも角にも、素晴らしい映画には違いありません、是非。